モリス・チャンが声を上げて大笑いした日:胡正明の新著が描く台湾半導体の人材ネットワーク

TSMC
著者:林宏文
モリス・チャンが声を上げて大笑いした日:胡正明の新著が描く台湾半導体の人材ネットワーク

2026年10月10日は台湾の国慶節で、この連休はとても忙しかった。まず新竹へ行き、台湾の工業技術研究院(ITRI)元院長の史欽泰(Chintay Shih)氏と、エイサー(Acer)創業者の施振栄(スタン・シー)氏という二人の大先輩による「双十フォーラム」で司会を務めた。続いて、台湾の民間シンクタンク「印太戦略智庫」(Indo-Pacific Thinktank、IPST)が主催する「2026台日未来科技フォーラム」に参加した。同シンクタンクは2024年10月、産経新聞の元台北支局長、矢板明夫氏が発起して設立したものである。その合間を縫って、胡正明(Chenming Hu)氏の新著『拿出辦法來(方法を考え出せ)』を読んだ。台湾の出版社、天下文化が2026年10月に出版した本である。読んでみると実に面白く、印象的な箇所が多く、共感する論点もいくつかあったので、ここで紹介したい。

胡正明教授は半導体分野で国際的に名高い。1999年に開発した3Dの「フィン型電界効果トランジスタ」(FinFET)は、半導体が物理的な限界を突破することを可能にし、素子はより小さく、エネルギー効率はより高くなった。半導体産業におけるこの40数年で最大の変革と言ってよい。

胡教授は米国工学アカデミー会員、米国電気電子学会(IEEE)フェローであり、「マイクロエレクトロニクスの先見者」と称される。2001年、TSMC会長モリス・チャン(張忠謀)氏の招きでTSMC初代最高技術責任者(CTO)に就任し、TSMCが世界で最も半導体技術の進んだ企業となることに貢献した。その革新的な研究開発の功績をたたえ、オバマ米大統領から国家技術革新メダルを直接授与されている。

一つの会議が示す、台湾半導体人材ネットワークの緊密さ

まず、本書には特に印象的な描写がいくつもある。たとえば、2001年に胡氏がTSMCに入社し、モリス・チャン氏が経営陣に彼を紹介した際、幹部たちが順番に胡氏と知り合ってから何年になるかを語り、その年数が一人ごとに長くなっていった場面である。その描写は次のとおりだ。

「モリス・チャンは通常、毎週水曜日に経営委員会を主宰し、上級幹部が全員出席する。私が初めて経営委員会に出席したとき、チャンは私をその場にいた15人の幹部に紹介した。

チャンの紹介が終わると、蔡力行(Rick Tsai、当時は社長)がまず口を開き、私とは知り合って10年になると言った。私がずっとTSMCのチップの歩留まりと信頼性の改善を手伝ってきたからだ。

続いて魏哲家(C.C. Wei)が言った。『私の博士課程の指導教授は胡さんの大学の同級生(馬佐平のこと)で、私は正明の研究論文を15年読んできた』

次は劉徳音(Mark Liu)で、私とは知り合って20年になると言った。彼の最初の仕事は私が与えたもので、彼はバークレーで私のティーチング・アシスタントを務めていた。

皆が驚き、大笑いになった。笑いが少し収まると、蔣尚義(Shang-Yi Chiang)がすかさず言った。『私は彼と知り合って30年余りになる。台湾大学の同級生だ』

次に金聯舫(Kenneth Kin)が言った。『私は正明と知り合って40年になる。中学の同級生だ』。最後に締めくくったのは『私は彼と知り合って50年になる。私が生まれた日から数えて』という一言だった。発言したのは胡正大(Cheng-Ta Hu、音訳)、当時のマーケティング担当副社長で、著者の弟である。

最後には、モリス・チャンまでもが声を上げて大笑いした。私が彼の大笑いを聞いたのは、後にも先にもこの一度だけである」

この場面に登場する幹部たちの、その後の役職は次のとおりである。蔡力行氏は現在、台湾の半導体設計会社メディアテック(聯発科技)の副会長兼CEO。魏哲家氏は現在のTSMC会長兼CEO。劉徳音氏は2018年から2024年までTSMC会長を務めた。蔣尚義氏はのちにTSMCの研究開発担当上級副社長となった。金聯舫氏は2001年7月にTSMCに入社し、グローバルマーケティング担当上級副社長を務めた。

実に見事な描写である。胡氏は本書で、このリハーサルなしの場面こそ、台湾半導体がなぜこれほど強いのかを外国の友人に説明する際に使う答えだと書いている。台湾の技術人材の世界は人間関係が緊密で、TSMCや多くの企業の幹部は、同級生でなければ、学校の先輩・後輩か師弟の関係にある。台湾は人口密度の高い小さな島で、優秀な学生の多くは少数の名門大学に集まっている。

胡氏はまた、職場で誰かに出会うと、同僚であれ、サプライヤーであれ、競合相手であれ、少し話しただけで以前に会ったことがあると分かる、とも書いている。極端な例として挙げているのが、シリコンバレーのエヌビディア創業者ジェンスン・フアン(黄仁勲)氏とAMDのCEOリサ・スー(蘇姿丰)氏である。二人は台湾南部の都市、台南にルーツを持つ、世代が一つ違う親戚同士であり、現在はそれぞれが率いる企業がAIプロセッサー市場で真っ向から競い合っている。

胡氏はさらに、あの日、モリス・チャン氏が珍しく皆の前で大笑いしたことは、チャン氏の下で働く重圧がいかに大きかったかを物語っているようだ、とも書いている。「経営陣は皆年齢が近かったが、チャンは20歳ほど年上で、年齢も振る舞いも教師か親のようだった。議題は通常、最後に彼が決断した。彼は他人の意見に耳を傾け取り入れるが、どの考えが誰から出たものかを明かすことはほとんどなかった」

2026年10月10日の双十フォーラムの前に史欽泰氏と話した際、氏は胡正明氏と台湾大学(国立台湾大学)電機工学科の同級生だったと教えてくれた。そのクラスは実に人材の宝庫で、TSMC元研究開発担当上級副社長の蔣尚義氏のほか、魏哲家氏の交通大学(台湾の国立交通大学、現・国立陽明交通大学)とイェール大学での指導教授である呉慶源(Ching-Yuan Wu、音訳)氏と馬佐平(T.P. Ma)氏、さらに晶豪科技(ESMT)の創業者である趙瑚(Hu Chao、音訳)氏と毛敘(Hsu Mao、音訳)氏もそうだという。

史氏によれば、同級生たちはグループを作っており、今も毎月1回オンラインで集まって語り合い、時には一人が講師を務める。同級生の大半は米国在住で、史氏もできる限り毎回参加しているという。

インテルへの誘いを断り、自らの道を歩んだ胡正明

胡氏は本書で別のエピソードにも触れている。胡氏がカリフォルニア大学バークレー校に進学したのは1969年で、インテルはその前年の1968年に設立されたばかりだった。後にインテルのCEOとなるアンディ・グローブ氏は、胡氏の半導体の授業の教授だった。

グローブ氏は胡氏をインテルに誘ったが、胡氏は当時関心がなく、インテルがどんな会社かも知らなかった。グローブ氏はあきらめず、会社を見に来るよう誘い、自分も胡氏と同じく米国の移民一世だと語った。胡氏は実はこの仕事を受けたくなく、博士課程を修了すると両親に約束していると答えた。するとグローブ氏はすぐに、スタンフォード大学で働きながら博士号を取れるよう費用を出すと申し出たが、胡氏は結局行かなかった。

胡氏は、後になって、インテルの伝説的なCEOの誘いを断り、創業初期のインテルに加わらなかったことには確かに悔いがあると振り返る。当時インテルが巻き起こしていたマイクロプロセッサー革命の重要性を理解できなかった自分は賢くなかった、他の教授に話を聞いてみることも思いつかなかった、と省みている。しかし当時の唯一の夢はMIT(マサチューセッツ工科大学)の教授になることで、3年後、その夢を実際にかなえた。

本書には読みどころが多い。たとえばTSMC在任中、モリス・チャン氏は胡氏に二つの任務を与え、その一つはTSMCの知的財産収入のバランスを改善することだった。台湾企業の知財管理にとって重要な一節だが、すべてを紹介するのは控え、読者が自ら見つける楽しみに残しておきたい。

ただし、胡氏が台湾の電子産業の発展について考えを述べた一節は、特に取り上げておきたい。胡氏は、約20年にわたり異なる政党に何度も提言を行い、多くの人が繰り返し考えてきた一つの問いを論じてきたという。「台湾経済は電子産業に頼りすぎではないか」という問いである。

台湾の研究開発費はどう配分すべきか:胡正明の長年の提言

胡氏はTSMCのCTO在任中、政府と「国防役」の枠について交渉した。国防役とは当時、兵役の代わりに若い男性が企業で研究開発に従事できる制度である。当時TSMCが得た国防役の枠は非常に少なく、パソコンブランド企業より少ないばかりか、外国のテック企業が台湾に置く研究開発拠点よりも少なかった。そこで胡氏は国防部(国防省)の大佐と面会し、枠の拡大を求めた。

すると大佐は、政府が支援するのはブランド企業であって製造企業ではないと言った。胡氏は、TSMCこそ台湾最大のブランド企業だと説明した。TSMCが製造するすべてのチップにTSMCのロゴが刻まれているからだ。さらに、政府は外国企業の研究開発拠点に多くの税優遇などの支援をすでに与えているとも指摘した。「言えることはすべて言ったが、大佐は終始ポーカーフェイスで、政府の政策はそうなっていると繰り返すだけだった」

胡氏はまた、台湾の研究開発費は研究機関に流れすぎ、大学への配分が少なすぎると指摘する。最大級の国家研究機関(台湾の学術研究機関である中央研究院と、工業技術研究院を指すとみられる)は、総統府と経済部(経済省)から直接、潤沢な資金を得ている。これらの機関の設立当初には歴史的な背景があったのかもしれないが、今や産業競争力をけん引する機関車は台湾の産業界と大学であり、政府の研究開発費の配分もそれに合わせて見直すべきだという。

胡氏はさらに、より根本的な問題は、大学の研究開発に資金を出す目的が誤解されていることだと言う。国家と社会にとって、研究開発費が大学に流れず、学生を働く力と革新する力を備えた人材に育てられなければ、産業界に人材を絶え間なく送り出すことはできない。研究機関が政府から得る研究費はすべての大学の合計より多いのに、同じてこの効果を生み出せない。さらに悪いことに、研究機関は限られた同じ人材を産業界と奪い合っているという。

TSMC創業前に工業技術研究院の院長を務めたモリス・チャン氏も、かつて同様の主張をしていた。TSMC設立から40年近くたった今、国家の研究開発費の配分が正しいのか、合理的なのかは、確かに今なお議論に値するテーマである。

胡氏の本には、研究資金がどこから来るのかを論じた長い一節もある。その多くは米国での自身の経験だが、明らかに台湾にとって参考になる点も多い。

たとえば胡氏によれば、彼が指導した最初の博士課程の学生クリフが、著名なカリフォルニア工科大学のカーバー・ミード教授は、豪邸のように広い自宅に多くの学生をよく招いていると話した。胡氏は、なぜミード教授はこれほど多くの学生を支えられる研究資金を持っているのかと不思議に思った。

胡氏によると、ミード教授はインテルと密接な関係にあり、学生の研究を支える多くの研究資金を得る一方、インテルの多くの研究開発上の革新にも貢献していた。胡氏もこれに学んだ。当初、研究資金の多くは米国防総省から来ていたが、その後ナショナル・セミコンダクターの顧問に招かれると、学生に企業が関心を持つテーマを研究させた。それによってシリコンバレーの多くの企業の扉が開き、より多くの研究奨学金で半導体に関心を持つ博士課程の学生を引きつけた。胡氏は次第に学科内でも研究資金の潤沢な教授となり、指導する大学院生の数も他の電気工学の教授より多いことがよくあったという。

企業からの研究支援は、米国の大学にとって重要な研究資金源であり、企業が多くの研究開発のボトルネックを突破するうえでも鍵となっている。胡氏は米国の経験から台湾を見ており、今では米台両国に確かに似た点が増えてきた。台湾企業はますます大きくなり、多くの企業が大幅な成長と利益を上げ、大学のより先進的な研究開発を支援する意欲も持っている。国家研究機関がかつてのように産業発展をけん引する役割を維持できるのかについては、確かに見直しが必要である。

良書を読むことは、いつでも人生最大の喜びである

胡正明氏のこの本を読み終えて、まだ語りたい感想は多いが、それは心の中にしまっておくことにする。このコラムの読者の皆さんにも、本を開けば得るものがある、読むこと、学ぶことはいつでも人生で最も楽しいことであり、その楽しさは自分自身でしか味わえない、とお勧めしたい。

AIの時代、読むものに困ることはない。私自身もAIとの対話に多くの時間を費やし、AIから多くを学んでいる。しかし良書を読むこと、質の高い内容は、いつまでも置き換えがたい。これが、胡正明氏の『拿出辦法來』を読んで私が得た最大の感想である。

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